ユビキタス時代に必要になる自制心、公共心

 携帯電話といえば、今や最先端技術のかたまりである。筐体を開くと中から出てくるのはパソコンで、このパソコンにインターネット・ブラウザーやデジカメ・ソフトまでが入った。

 携帯電話は、さらに進化する。財布にもなるし家電製品を管理するコントローラにもなる。ユビキタス・コンピュータ(偏在するコンピュータ)の時代と言われるが、携帯電話がそのユビキタス時代を拓いている。これは、もう単なる通話メディアとは呼べない。今や「ケータイ」と呼ばれるようになったこのIT技術の急激な進歩には、あのトフラーもびっくりだったに違いない。現に次世代情報通信の主役は米国でなく日本、という声まで出ている。

 もっとも未来学を流行らせたアルビン・トフラーが、インターネット端末に進化した移動電話に乗り遅れたのかというと、決してそんなことはない。それが証拠にトフラーは、最近の新聞でカメラ付き携帯電話について鋭く論評しているのだ。

 彼はカメラ付き携帯の普及で「ビック・ボワイヤー(のぞき屋)」の時代が来るとみている。他人の存在が眼に入らぬような使い方をしたり、大の男が少女の盗撮に夢中になるような日本の今の現状からすれば、トフラーの予言が当たるかもしれない。要するに彼は、いま流行りのケータイを単に「便利で面白いメディア」とだけみているわけではないのだ。

 のぞきだけではない。トフラーは相互監視社会が来るだろうともいう。単なる好奇心、イタズラが相互に共振、増幅し、互いに互いを監視するという不信社会が来ると心配している。

 既に子どもの携帯電話利用でその問題が現れている。私の研究室には、このところ高校や中学の教師からの相談が多い。携帯を使った深刻なイジメのケ-スのなかには、Eメ-ルでいじめられた生徒がカメラ付きケータイを使ってわいせつなチェーン・メールをまわして仕返しをしているというのがあった。子供たちにすれば、こんな面白いメディアはない。授業妨害もできるし、のぞきもできる。学生らにケータイ・カメラを何に使っているか聞いているのだが、街中で通行人を気まぐれに撮影する等ほとんどが意味の無い思いつきの使い方である。これをボランティア活動に使う等といったことは、彼らは考えもしないようだ。

 自制心の弱い子供には、むしろ先端的メディア機能をはずした携帯電話を利用させるべきだろう。そして子供にどのレベルの機能を使わせるか、議論をすることで大人もユビキタス時代に公徳心や自制心が一層必要なことを自覚できるかもしれない。なんの議論も無いまま、技術だけが進んでいくようではとても賢い社会とは言えない。