佐世保の少女殺人事件について ―いま改めて考えるべきこと―

 本当に痛ましい事件が起きた。長崎県佐世保市の大久保小学校で、6年生の御手洗怜美さん(12)がカッターナイフで首を切り付けられ死亡した事件のことである。最初はインターネット利用が絡む事件とは思っていなかった。

 新聞社から最初の取材の申し込みがあった6月2日朝の時点では、発作的あるいは突発的、衝動的な喧嘩の果てのことか、と思った。しかし、あるいはという気持ちもあった。というのも、昨年から今年にかけて2件の、小学校でのネット利用型イジメの相談を受けていたからだ。そのうちのひとつは、今回の佐世保市のケースに似ていて、殺人には至らなかったものの、小学校6年の女の子達のインターネット利用トラブル(喧嘩)だった。だから、今回の事件もインターネットもしくは携帯電話がらみでは?という気もしていた。

 はたして、しばらくしてから「県警佐世保署に補導された同級生の女児(11)が動機について、「インターネット上で、自分のことについて怜美さんが書き込んだ内容が面白くなかった。いすに座らせて切った。殺すつもりだった。」と供述していることが、わかった。」というニュースが入ってきてテレビ局や新聞社の方々が研究室に取材に来るという事態になってきた。

 全貌は未だ判然としてはいないが、正直言って、伝えられるようにネットへの書き込みが事件のきっかけとなり、加害者少女を殺人に駆り立てたのなら、殺された少女は勿論のこと加害少女も含め、子供を守ってやれない愚かで無力な我々日本の大人の犠牲者と言わざるを得ないな、というのが正直な今の気持ちである。

 これまで主張してきたように、我々日本の大人は、インターネットや携帯電話など新しいメディアを、甘く見ているのではないのか。というより、子供への影響という視点でなく「儲かるか、面白いか」という産業的あるいは娯楽的な大人の思惑だけで、深く考えることなく、子供にインターネットを使うことをすすめたりしているのではないか、と心配してきたのだ。

 今回は、インターネットでの文字による対話の問題(フレーミング)に焦点が当たってきたようで、私もその視点からテレビで解説をしたのだが、重要な事は、その他のインターネットというメディアの特性理解、たとえば匿名性やら仮名のコミュニケーションさらには

 有害サイト・情報問題など全体的なメディア理解(インターネット・Literacy)が必要になるとい、ことだろう。さらにいえば、今回は子供たちのパソコンからのインターネット利用に焦点があてられているが、これからは携帯電話からのインターネット利用問題理解のほうがもっと重要になるということを知る必要があると思う。理由は、携帯インターネット利用の低年齢化が、これから急速に進むからだ。

 このほか、もうひとつ指摘しておかなければいけないことがある。それは「学校できちんと子供に教えろ」という主張である。しかし子供達に必要以上に早く、しかもこれ以上何もかも教えられるのだろうか。インターネットのメディア理解には、有害情報の判断力の問題も含めて常識がいるのだ。だから子供の発達段階に応じて、何歳から、どのように使わせるかを大人が考えなければいけない。

 また子供達のインターネット、携帯電話利用は家庭で活発化している。子供の最終責任者は保護者なのだから、IT時代の大人、保護者の学習(相互学習など)機会の拡大が家庭や地域社会において必要だろう。とくに携帯インターネット時代では、パソコンと携帯電話利用が連動していくことからも、家庭・地域社会での生涯学習システムが必要になるはずだ。お父さんやお母さん、それにITに強い地域の大人たちがお互いに子供のネット利用について情報交換したり、注意しあったり、学びあったりする必要があると、つくづく思うのである。