ねちずん村(Netizen-Vil.)の行く年来る年

~2005年は北から南まで~

 とにかく講習会、セミナーのたぐいが急増した。村長個人の講演会は2003年あたりから県内を中心に急増したが、それでも年間に12,3件ぐらいだった。それが2005年はインストラクターの活躍もあって、月間で10件以上となった。

 インストラクターの養成は、公式には文部科学省の委託事業として2005年12月からスタートしたものだが、実際は3年前から実践的に、というよりやむなくはじまっていた。「やむなく」と言うのは他でもない。2004年頃には、村長が入院したこともあって、一人ではとてもこなし切れなくなっていたのだ。病気を理由に公演を断っても、次々に「何とか来てくれ」というお呼びがかかる。そこであるとき(確か神戸市のPTAの会合だった)公演の付き添いで動いていたつれ合いが、パワーポイントとビデオをつかって説明を始めた。そしていまや助手から主役になってしまった。なにしろ県内では、村長よりインストラクター第1号が人気になるほどになった。いや、県外からも声がかかり、この秋は悪天候をついて北海道まで飛んでいってしまった。彼女に続いて女性1名男性2名のインストラクターが地域の強い要望にこたえて登板した。県内ばかりか、同じように「下田村長に頼ってはいられない」と茨城県や兵庫県でも名乗りをあげる人が登場、最近では鳥取県米子市でも「知った人が知らない人に伝えよう」と活動を始めた人が現れた。日本の子ども達の危ないネット利用に歯止めをかけるための啓発活動は、今や北は北海道から南は沖縄までと広範囲に及んでいる。そんなわけで、ありがたいことに村長は「倒れない程度に」動きまわされるようになった。

 この間ホームページ「ねちずん村」の製作スタッフたちの努力で疑似体験館なるシュミレーション・プログラムのサービスや携帯護身術(高校生向け冊子)の発刊にもこぎつけることができた。 また2005年からは村長の大学でモバイル社会研究所との共同研究プロジェクト(約15,000人以上の中高生ケータイ利用実態調査)がはじまり、今はそれに没頭している。

2006年 ~海外へつながる年に~

 中高生のケータイ利用実態調査は、村長の本業(?)とも言うべき大学での、2005年度の大仕事でもある。この調査では生徒ばかりか保護者や教師にもアンケートに答えてもらっているし、約200名を目標にインタビュー調査も実施中だ。結果は2006年3月に一般公開するが、すでに「ケータイは従来の教育、子育て上厄介なモノになりつつある」という興味深い傾向が見えている。

  それはさておき、今回の共同研究調査の一環として2005年11月末にソウルへ飛んだ。日韓の高校生のケータイ利用比較のためである.結果をいえばソウルでは、日本の中高生ほどひどい問題はおきていない。エンコーという言葉はよく知られていて、それにちかい事件も少し起きているようだが、日本の子供ほどひどくはない。未だケータイからインターネットなど使っていないからだ。つまり、韓国の若者のウェブフォンの利用はこれからだ。それだけにむこうの方が、話を聞きに行った我々に強い興味を持っていた。実際にソウルのICEC(Information Communication Ethic Committee)のオフィスに行ったら、逆に待ち構えていたかのごとく質問を浴びせられた。

 いや、実際に彼らは、私を待ち構えていたのである。それも群馬大学の教授ではなく「ねちずん村」の村長をである。  ICECという組織については、後日詳しく紹介するが韓国の「クリーンなネット社会形成運動」の中心をなす強力な活動を展開している。予算、スタッフとも充実していて日本にはない種類の官民一体型組織だ。その人々が「NPOのねちずん村」村長さんに会いたかった、と言ったので仰天した。こちらはちっぽけな市民活動サークルである。しかも彼らは「我々は日本のNPOと手を組みたいと思っていた」というではないか。
  何?手を組みたい?と聞き直したら「情報交換や共同事業をしたい」といわれた。どうも単なる外交辞令、リップサービスではなさそうだ。内心「さあ大変」と思ったが、確かにモバイル・インターネット先進国ニッポンの実情と問題解決にドンキホーテのごとく取り組んでいるのは我々くらいのものだ。

 金も力もない「ねちずん村」ではあるが、モバイル・インターネット時代の子ども達のことを真剣に考えるエネルギー、思いの強さは超巨大企業であるケータイデンワ会社よりははるかに大きいという自負はある。なにしろ、子どもが悲惨な被害に会うニュースが流れるたびに巧みにその親の心配を商売に結びつけてしまうような面々だ。ここは我々が日本と韓国で賢い親や消費者の交流のチャンスを作らなくてはいけないのだろうな、と観念した。それで「我々もベストを尽くす。手を組みましょう」と返事をしてしまったのだ。

 正直言えば本格的にICECとねちずん村のコラボレーションがスタートするのは早くても来年のことと思っていた。ところが、これまた驚いたことに「2週間後に正式な交流協定の調印をしたい」と言い出した。そして12月13日に3人のキーマン達が前橋市に飛んできて、ねちずん村のセミナールームを視察し、県庁の幹部や学部長と会った後、公式にねちずん村とのコラボレーションのサインを交わすことになった。下の写真はそのときの様子を映したものである。

2005年12月13日 韓国ICECスタッフにねちずん村スタッフが テキスト解説

ねちずん村の啓発ポスターを見る ICECメンバー

ICECとねちずん村の交流協定書

ICECとねちずん村の交流協定書

 

 話が出てから調印まで。この間、わずか3週間足らず。「速い!」のである。「インターネット時代の子ども達の為に大人としてやれることをしましょう」と、言うだけでなく即実行に移す。このスピードには感動した。

 私は最近「もう日本国内でジタバタしていても解決にならないかもしれない」など考えるようにもなってしまった。官も企業も私から見ると鈍いのである。商売は確かにうまいが、誠実さにかけるのである。大人の企業とは言えないのではないのか。私も少々過激になってきた。

 2005年は、招かれて石川県野々市町や東京・新宿等で、日本のIT教育やインターネット時代の安全・安心を支えるわが国のリーダー、重鎮らに自分の考えをはっきり述べた。 今のままでは子ども相手の甘い商売を続ける企業の姿勢を変えられないし、子どもをめぐる情報メディア環境は悪化する構図が見えている。「次世代人材の育成の失敗」からインターネット時代の安心・安全など、このままでは保障できないと思う。技術的な安全対策だけでは社会の「安心」は生まれない。

 この私の考えに反論は無かった。そこが私としては気味が悪いのである。反論どころか「唖然」という表情なのだ。「確かに子どものケータイ・インターネットりようの問題はみおとしていた」とも言われる。しかしそれだけである。どうしたらいいのか、提案はない。

 いずれにせよ、真剣な対話、問題解決のための情報交換は、海外からスタートするしかないのかもしれない。2005年7月には、文部科学省から呼ばれてドイツのメディア・リテラシー研究者達にレクチャーした。このとき「我々は日本の失敗を参考にすることになるかもしれない」とはっきり言われた。

 2006年は、ねちずん村の英語発信と海外交渉能力を強化したいと思う。だが、しかし先立つものがない。英語のできる有能な人材を雇う力がないのだ。そこで米国から息子を呼び寄せ、当面は米国仕込みのボランティア・スピリットを発揮してもらうことになった。
  思えば5年前に、前橋市内の公民館でPTAの勉強会「子どものインターネット利用を考える会合」を開いたのが運のツキだった。しかし今や後には戻れない。言った以上、ここまで来た以上は、やるしかないだろう。それが2006年の村長の決意である。
 皆さま、今年もどうか「ねちずん村」をよろしく!