「子どもに携帯電話を持たせないでくれ」という提言について
 子どものケータイ利用への危機意識の高まりと混乱が・・・

 このところ各地の自治体、教育委員会が保護者に対して「子どもに携帯電話を持たせないでくれ」という提言、アピールを出すようになり注目されている。そのため当方にも各地の新聞やテレビから「あなたはどう思う。賛成か、反対か」という質問が来るようにもなったので、この際私の考えを述べておく。

 私は各地域・自治体で、市民が語らい、あるいは行政が市民に訴えるかたちで「子どもにインターネットができる携帯電話を持たせない」とアピールすることはよいことだと思っている。とりわけ小中学生など低学年でのケータイ普及率が低い地域では、提言も受け入れられ易く実効性も高いと思う。しかし子どもの所有率、それもフィルタリング無しの利用率が高い地域では、提言だけでは実効性は期しがたいだろう。ようするに「中高生に持たせてはいけない」その理由について、きちんとした説明がなければ提言も受け容れられないだろう。インターネットができる携帯電話を、しかもフィルタリングなしのモバイルインターネット利用を、もう10年も子どもらにさせてきて、なぜここにきて「持たせないでくれ」と言い出したか、その理由を、保護者にはもちろんのこと、子ども達自身が納得できるように説明するべきだと主張しているのだ。

 各地の市町村でそのような動きが出るきっかけを作ったのは福田内閣時代の教育再生懇談会の提言であったと思う。しかしここでも保護者や教員へのきちんとした説明が無かった。ただ上の方から天の声を出しただけという印象を持たれている。だから私の講演では「なぜ国がいまごろあのようなことを言い出したのか教えて欲しい」という質問がでるようになって、こちらも困っているのだ。

 思うに、大人、親、教師の手に負えないものを渡してしまったらしいと気がついて、一種パニック状態で「持たせるな」といい始めたように、私には見える。つまりインターネット時代の子育て教育に失敗したらしいと焦り始めたわけである。このやりかたはよくない。いや私の予想していたシナリオのなかではワーストケースを辿っているように見える。

 インターネットという成人向けメディアを、思春期の子どもらに好き勝手に使わせてきた世界で唯一の国・日本の大人が、いますべきことは、感情的ではなく理性的、戦略的に振舞うことである。具体的には、まずなぜ今頃こんなことを言わなければならなくなったのかを企業も監督官庁を含む行政もきちんと説明し、反省すべきことは反省する。そのうえで、保護者、教員さらにはネット利用者である子どもらに理解と協力を求めるという努力をするべきであろう。自分の都合だけを考え自己中心的に、かつ感情的に振舞うのであれば問題の解決を遅らせることになると思う。もっと言えば、今後さらに発展するインターネット時代に対応して、これまでの失敗から学びつつ、新たな大人の能力=ペアレンタル・コントロールの能力を保護者ばかりか提言する教育委員会も早急に身に着けなければいけないのではないのか。断っておくが、私は「子供らにモバイルインターネットをさせるな」と言っているのではない。させるのであれば、しっかりやるべきだ。インターネットを甘くみないでやれ、それができないのであれば「させないほうが良い」と主張しているだけである。