子どものネット利用問題で問われる日本の大人社会の能力とは

 わが国にはテレビなどマスメディアを批判的に理解するメディア・リテラシーという考えが希薄で、学校でも教えられる状況には、なかった。また市民がマスメディア(ラジオ、TV、CATVなど)の放送機能を使って不特定多数の人々に情報(意見など)を発信するパブリック・アクセス活動の歴史も無かった。つまりメディアを人間や社会の向上のために、どう使うべきかという意見交換や学習の経験が無かった。

 そんなメディア利用文化が未熟な国、ニッポンに突如インターネットが入ってきたために、人々はこのメディアをどのように扱えばよいのか、定見も無いままに、インターネットというメディアの受発信機能を使い始めた。

 とりわけ、日本の問題は、そうした大人社会のネットを含むメディア・リテラシー理解ができていない状態の中で、こども(未成年者)たちの方が、大人より早く、インターネットという最新のメディアの利用をはじめ、そのためそれも大人(保護者、教師)が子ども達を良い利用方向に教育、指導できなかったことである。さらに言えば、その日本の子ども達のインターネット利用はパソコンからではなく、教師や保護者の見守り指導(ペアレンタルコントロール)が難しい携帯電話(モバイル)から始まったため、日本の子ども達は、好き勝手に社会的混乱をもたらす使い方を悪徳ネット業者の誘導によって身に付けしまったということだ。

 警察庁や文部科学省だけでなく総務省なども、子ども等の誹謗中傷など有害ネット利用を止めさせようとモグラたたき的対策を続けている。だが後のメディアマジック進化(新型のモバイル・インターネット商品開発)のスピードの速さを考えるとインターネット商売をする業者も含めて、大人社会でのインターネット時代のメディア・リテラシー学習が必要になるだろう。

 その際、大人のメディア学習の中心になるべき存在が保護者や教師である。保護者教師など子育ての最終責任者がしっかり学習しなければ良くならない。

 わが国でもインターネットという史上最強のメディアを使って人間(子ども)の知的能力や社会の質的向上をいかに実現するかというインターネット文化の追求の議論が必要であるし、それなくして、この国の子どものネット利用問題の解決の道も拓けない。我が国の子どものネット利用問題は、ネットパトロールを強化すれば済むという単純な話ではないのだ。

 子どものインターネット利用問題で問われているのは、日本の大人達のインターネット文化創造の力なのだ。(ネットで子どもを食い物にして利益を挙げる能力ではない。)そのことは未だわかっていない。