いじめの心理とネットいじめ発生・抑止のプロセスについて

プロローグ

 文部科学省は、過日、いじめ対策専門組織を全国規模で立ち上げると発表した。背景には、大津市の中2自殺など深刻な事例の発生、学校教育現場における日常的ないじめの広がりがある。専門組織の立ち上げは必要と思われるが、子どものインターネット利用問題の研究者としては、一般的ないじめ問題対策の計画の中に、インターネットを使った「ネットいじめの対策」が織り込まれているか否かが気にかかるので、ここに小論を発信する。いじめ対策関係者、もしくは関心をお持ちの方々の参考になれば幸いである。

 なお、本論のネットいじめの発生プロセスについて私見を述べる前に、私が群馬大学下田研究室として相談を受けた2つの新しいタイプのいじめ(ネットいじめ)について自身の研究の動機になったこともあり、記述しておきたい。

 私が新しいタイプのいじめ発生と認識した2件のうち1件は、2001年に女子高の生徒らによる特定のクラスメートへの単純なメール攻撃であった。このケースの被害者を仮にA女とする。A女はある時期より自分の携帯電話に複数の送り手からの匿名の嫌がらせメールを受け取ることになった。文面はA女の性格、容姿に関することから、「学校に来るな」等、A女の気分を損ねる内容であったが、A女はあえて無視することにした。しかし中傷・嫌がらせメールはやむことなく、そのうちにカッターナイフの刃の部分を封筒に入れて送りつけられたことから、危機感を募らせ、教師にも相談するようになった。

 この嫌がらせメール事件で、私が注目したのは加害者の同級生の少女がA女と友達付き合いのあるB女で、B女は自分が好意をいだいてきたA女が、他の女子生徒と気が合うようになったために好きだったA女から裏切られたという感情を抱き、憎しみさえ感じるようになった。そのためクラスでも人気のあったA女に反感を持つ友人と語らって、嫌がらせメールの集中送りつけを始めたという経緯だった。しかしA女からの嫌がらせメールへの反応が無いことに加害者は苛立ち、カッターナイフの刃を送りつけるという行動に出たといういきさつに、私は注目した。 それまでの私自身の、子ども社会のいじめイメージは、腕力の強い者が弱い者を力でいじめるという古典的な「対面のいじめ」理解にとどまっていたことが分かった。それ以後私は思春期少女の世界の学校での友人関係の変化が、いじめの動機(いじめ心の刺激→ネットいじめの実行)になっているケースを調べ始めた。ちなみに、先の女子高でのメールいじめのケースは、警察が中に入り、加害側の生徒に将来性や進学などもこのままでは不利になることを悟らせると共に、A女側には加害者のいじめ心理への理解を求めて和解をみた。

 2003年には、男子中学生が、いわゆる学校裏サイトという掲示板に、名指しのデマを書き込まれた案件の相談があった。仮にA君とする。A君は、高校受験のための勉強に励み成績が上昇して教師からも褒められていたが、掲示板で「カンニングをしている」と書き込まれたことで困惑し、教師に相談をした。その結果友達の一人が面白半分に書き込んだことが分かり早期解決をみた。

 ちなみに2004年、5年にかけての下田研究室の学校裏サイト調査では、私の大学のある地域以外で「○○(実名)は母親とセックスしている」とか「○○の兄は前科者だ」等と書かれて被害者の困り果てる表情が想像される事例も見えてきた。

 掲示板利用ばかりではない。現場教師からの相談や報告の中には、当人に成りすましたプロフ発信で、自ら恥ずかしいことを口にしているような印象を振りまかれていることに困って学校を休むようになった女子生徒の例もあった。

 研究室で調べていくうちに、新聞報道や他県の教師の報告の中には、義憤を感じる事例が多くあることも分かった。以下、私が自分を含め「我が国の大人は何をしているのか」とわめきたい気持ちになった事件を2,3記しておく。
•2003年の三重県での事件だが、女子中学生が女子の同級生らから対面で暴力を振るわれた後にメールで呼び出され、出会い系サイトを使った売春を強要された

 同年に東京では、5人の女子中学生が一人の女子高生を対面の暴力で脅した後、被害者の頭髪を切り、上半身裸にした後、ケータイのカメラで撮影し、それをチェーン・メールで発信した。このような従来の対面の暴力に加えて、ネットのメディア機能利用による過剰ないじめ(いじめの深化)は、その後の動画投稿遊びの増加と共に事例が増えている。
 非対面のネットいじめは、対面のいじめと関連、連動したり、対面のいじめを過剰化させるという危険性がある。対面のいじめは相互関係にあると考えるべきだ。実際にネットの掲示板やメール交信のやり取りが原因となり、対面のいじめ、暴力事件など問題行動に発展するというインターネット時代の現象が2000年代より目立つようになった。にもかかわらず学校や保護者が無関心であったり、新しい現象を無視したりしていては情報化する日本でのいじめ問題解決はありえないと私は考える。

いじめ心理の分析

 以下、本論に入る。誰かをいじめたいという心の働き、心理をいじめ心とすると、いじめ心は誰にでもあるというカウンセラリング現場からの証言や自身の調査結果を前提として以下論をすすめる。

 私は2006年にソウルで開かれた「子どものネット利用問題に関するアジアの専門家会議」での知見や同年のジョーンズ・ホプキンス大学の社会心理学研究者たちとの意見交換・議論を基に非対面のいじめとしてのネットいじめ発生と抑止の研究を群馬大学下田研究室として行っていた。この小論文は、それに加えて埼玉県ネットいじめ委員会の委員長として報告書の取りまとめをしたときの調査、学校関係者(生徒指導)へのヒアリングなどの知見を使い、2012年9月現在の私の意見として古典的対面のいじめとネットいじめの違い、関係性について取りまとめたものである。

 最初に、誰かをいじめたいという心理の分析から入りたい。いわゆる「いじめ心」の内容は複雑であるが、実際にいじめを行った中高生達からの証言、ヒアリングなどから私は、いじめの心を一種の欲望、正確にはゆがんだ心の欲求と理解するようになった。アジアの子どものネット問題研究会では、ネットいじめは、ゲーム感覚的で快楽として行われる。という意見もあった。私はそのいじめの欲求、欲望は、主として次の7種類の欲求、欲望から成ると考えるようになった。

1.攻撃欲(ストレス解消のための代理攻撃の欲求を含む)
2.支配欲(優越感の獲得欲)
3.自己顕示欲
4.異質排除の欲求(差別心理)
5.愛と憎しみの心理(あるいは愛憎など矛盾する心の葛藤の解消)
6.嫉妬心あるいはあざけりの心
7.金銭欲あるいは一般的物質欲(この中にはネットアイテムなどの所有欲も含まれる)

これらの種類の心の働きが混然一体となり、いじめ心という歪んだネガティブな心の働きが起きる。そのネガティブな心の働き、エネルギーがそのまま自然に小さくなったり、ちょっとした気分転換で消えてしまえばよいが、ある種の刺激もしくは増幅要因が発生すると負の心理としての「いじめ心」が膨れ上がり、いじめの実行の行動欲求の高まりからいじめの実行がなされる。

いじめの実行と抑制(中止)の過程

 前記のようないじめ心理の増幅・高まりからいじめの実行にいたる過程を、まず対面のいじめを例として以下に説明する。

 私は、中学・高校など現代の学校でのいじめを①対面したいじめ、と②非対面のいじめに分けて研究してきた。そこで、まず旧来のいじめの理論のベースにある「いじめる者」「いじめられる者」の構図から対面のいじめが実行あるいは中止にいたるプロセスを整理したい。

  まず一定程度の「いじめ心」を有する者が、そのネガティブな心、感情を刺激、増幅される機会、出来事の発生がある。それを私は「いじめの対象の現出」と呼んでいる。お小遣いが欲しいと思っているときに「こいつをいじめれば、金を脅し取れる」と思わせるような人間や、自分が逆らえない相手から嫌なことをされたりして惨めな感情あるいは苛立った感情が生じるとき、それを払いたいがための八つ当たり(代理攻撃)の対象が現れる。もしくは何らかの理由で憎しみ、あるいは、嫌悪を感じさせるような相手の出現と、その人物の弱点、弱み(例えば当人が他者に知られたくないと思っている事柄などの発見があると、それがいじめ心の刺激、増幅となる。つまりいじめたい相手の出現、認知である。この段階で、いじめ心は自覚的なものになる。

 男女の恋愛の場合なら、相手から裏切られたと感じ、相手を憎しみのまなざしで見るような場合に、いじめ対象の認知が始まる。(自分が)一方的に好意を持ちその気持ちが届かない。あるいは拒否された場合でも、男女の恋愛に限らず憎しみや攻撃心理が生まれる。それまで仲良く付き合っていた相手を何らかの理由で突然嫉妬したり憎むようにもなる。そうした出来事の発生もいじめ心の刺激増幅要因となる。

 いずれのケースにせよ、いじめ心の高まりは、いじめの実行意欲の高まりに転じ、いじめ実施の手段、時、場所など実行条件の模索段階に入る。つまりチャンスの模索が始まる。実行条件がととのわず、チャンスが無いと判断した場合は、いじめの実行、実施は中止されるか、特定の相手をいじめることをあきらめるなど感情の切り替えが行われる。逆に対面でのいじめのチャンスが整った。たとえば、いじめたい相手を誰も見ていない場所で、脅したり、罵倒したり殴るなどができると判断した場合には、いじめの実行が始まる。しかし、いじめの実行中、第3者(観衆など)の非難、同情のまなざしが発生した時は中止される。しかし、非対面のネットいじめの場合は、このようなプロセスが一部省略化され、いじめの実行が容易になる。(図1,2参照)

 また、非対面のネットいじめの深化(いじめの過剰化)は、ケータイなどモバイル・インターネット利用でさらに加速する。従来の対面のいじめは、いじめる場所、時間の時空間的制限があった。(ネット上でも卓上型PCなら制約が生じる)だからいじめの中断が自然に起きる。しかしいつでも、どこからでも24時間いじめ対象を言葉や映像でいじめ攻撃ができるマジカルなツール(モバイル端末)をいじめる側が持ったことで、いじめられる子は24時間ネットいじめの攻撃にさらされる。このようないじめ行為の過剰化、深化は必然的にいじめの被害者を追いつめる。

ネットいじめの解決策

 文部科学省は、ネットいじめを含むいじめ対策としてスクール・カウンセラーの増員を決めたようだが、そのスクール・カウンセラーが何をどうするのかが国民には見えてこない。いや、国民あるいは社会の側にネットいじめ対策の重要性が認識されていないというべきかもしれない。現代の子どもの交友、人間関係形成の場となった仮想空間の理解が遅れているようだ。街中や学校内でのいじめと違い、情報化社会のいじめは保護者や教員さらには心ある大人たちが認識しがたいネット空間で発生、発展している。しかもネットでのいじめは、液晶ディスプレー内で収まらずリアルな社会空間(学校内や街中など)でのいじめにも発展し、実際にネットを使った金銭の脅し取り事件あるいは、いじめ被害者による強制売春事件にまで及ぶようになってしまった。つまり従来の対面のいじめの深化、拡大要因にもなっている。また非対面のネットいじめは、対面のいじめ以上に「いじめる」「いじめられる」の関係の交代が可能となり、ネット上で子ども同士が傷つけあう構図も生まれている。生徒の問題行動を防ぎ処理する教師の立場からすれば、生徒のインターネット利用とりわけケータイのようなモバイル端末からのネット利用は、いじめの題行動を拡大させる要因ともなり、学校教育上は対策を急ぐべき課題である。

 家庭における子育て教育上も、ネットいじめはそれは大きなリスクをもたらす。ネットいじめの拡大は、成長過程の子どもにとっては、社会や人間に対する不信になる。子ども達を心身の成長段階で人間不信や社会不信にさせないということが、長い間の教育目標であった。子どもだけではない。インターネットを使った子ども同士の傷つけ合いは、保護者同士の人間不信にもつながり、互いに助け合って発展する社会作りの障害にさえなる。これは、日本の大きな社会損失であるという認識が、依然希薄である。このままでは、誰もが「これは大変」と気づき、真剣になる時まで、この社会損失は拡大すると思われる。

 そうしたワースト・レベルにいたる前に何らかの問題解決につながるような、有効な対策を採る必要があると、私は考えているし、そのための提案もしたい。
  ネットいじめ対策としては、以下の6点が下田からのアドバイスである。

1.保護者、教員、人権擁護関係者の学習、実態認識の強化、向上。
 現状ではネットいじめは悪質な人権侵害だという認識が薄い。非対面のネットいじめは、対面のいじめ以上にいじめ被害者を追いつめる悪質な人権侵害であるというレベルにまで人権擁護関連団体の現状認識が広がっていない。とくに保護者に関しては、ネットいじめは、仮想空間での出来事のため自分の子どもさえいじめられなければいい、という利己的認識が、親の学習意欲の高まりを妨げている。教員においても、ネットいじめに関する学習意欲が高めにくい状況にある。教員達は、日常の忙しさもあってリアルな空間でのいじめ実態把握さえ困難なうえ、仮想空間でのいじめの早期発見方法もわからぬことから新しいネットいじめの深刻さも独学では理解しづらい。そのため、リアルな対面のいじめとネットの非対面のいじめの違い(相互関係)を実感できるような研修機会をPTAと共に市民講座などで作るべきである。

2.子ども達への働きかけや、教育、カウンセリング体制の整備強化を急ぐべきである。特に、子どもの管理人教育をすべきである。
 子ども達(中・高生)への働きかけや教育としては、従来の情報モラルに加えてネット利用のリスクとリスク回避の方法を教えるべきである。とりわけネットいじめを招かないようなネット利用の注意点やネットいじめの実行者の方にも発生するリスクを教えなくてはいけない。子ども達といっても特に高校生にはサイトの良い管理の仕方についての教育ができればベストであろう。我々の学校裏サイト調査で分かったことは、中学高学年から高校1,2年くらいの生徒たちがサイト管理をしている実態であった。またネット事業者がこの子どものサイト管理人をよい方向(ラーニングウェブ)に誘導していないこともわかった。このような現状を改める必要がある。特に子どものサイト管理人には、サイト(スレッド)管理の密室化がもたらす問題、リスクについても教えなくてはいけない。

3.密室化を防ぐ努力をすべきである
 この十年間、日本の子ども達のインターネット利用は、我々研究者がクローズド・マインド・ユース(閉鎖的ネット利用)と呼ぶ方向に進んできた。だからサイトの鍵かけ=密室化が当たり前のように進行している。ネットいじめは、子ども達のネット利用の密室化の過程で起きている。そのことが教育関係者に理解されていない。

4.良心を持つ子どもに拍手を
 ネットいじめの実行者、すなわちいじめの加害者から話を聞くと、気にくわない者、いじめたい相手を、インターネットという匿名利用ができるメディアで攻撃することはフェアでなく、良心がとがめることだとわかっている。それゆえに、対面のいじめと同様に、第三者、特に保護者や教師など大人の目を気にする。ケースによっては同年代の子どものまなざし(観衆の目)も気にしている。私の学校裏サイト実態調査の中では、特定個人に対する悪質な誹謗中傷、デマ攻撃の書き込みに対して「これはちょっとひどいよ」とか「かわいそうだからもうやめなよ」等というコメントに加えて「管理人さんしっかりして下さい」という発言さえあった。この世代の同じ子ども同士のまなざしが悪質なネットいじめ実行者やそれを許すサイト管理者には重石になっていることもわかった。近年進む子どもの遊びサイトの密室化は、ネットパトロールを妨げるだけでなく、「気の合う仲間しかサイトに入れない」というサイト運営の過程で「良心的な子ども(観衆)のまなざしを」排除しネットいじめの過剰化を許してしまう。我々大人はインターネット時代に良心を持つ子どもに拍手し、彼らを応援するような見守りをするべきだ。子ども社会の自律の力を信じ助ける視点を持つべきだ。

5.いじめる側へのカウンセリングを
最後に、インターネット時代を生きる子ども達の悩みをどう受け止めるべきか、2006年のアジアの国際専門家会議での議論を基に、下田の考えを述べておく。本論に即して言えば、我々大人にはネットいじめをする側へのカウンセリングも考えるべきであろう。私はネットいじめ実態調査で出合った一人の高校生の次のような言葉にこだわっている。「先生が言うように、ケータイを使った個人攻撃が卑怯なことで、よくないことだと分かっている。でも、あの子をいじめたいという気持ちが抑えられなかった。ケータイなら、つい簡単にできてしまうというのは言い訳にしかならないけど」

 私は変に高度なメディア時代に生まれてしまった子ども達の悩みの一部を垣間見た気がした。歪んだ心の働き・心理としてのいじめ心を刺激し実行できてしまうメディア(道具)を売りつけ、買い与えているのは我々大人である。せめて、ケータイいじめ行為で悩む良心ある子どもに向けて、いじめ心を静め、できるなら解消できるカウンセリングサービス体制を作れないかと思う。カウンセラーは臨床心理の専門家である必要もない。例えば、に米国のサイバーブーリング対策にあたった専門家のアドバイスを紹介しておく。

 「子どものインターネット利用のリスクを理解した両親は、サイバーブーリングで悩む子どもの力になることができる。インターネットを使ったアンフェアーな行為をする子には、いろいろな理由で歪んでいる自分の心をもてあます悩みがある。それ故にネットのリスクの知識を有する親は、ネットを使って友達をいじめたい心理を弱めたり、消し去るための相談相手にもなることができる。子どもはそのような相談を受け止めてくれる両親を尊敬するようになる」

 私がケータイからのネットいじめが広がる日本で、ペアレンタルコントロール(保護者による子供のネット利用管理教育)の必要性を訴える理由がここにある。

  いじめの心の心理の他、刺激的遊びの工夫、あるいはヒマつぶし、退屈しのぎというありふれた遊び心理、動機についても注目すべきだ。

 いじめの効率化をもたらす非対面のネットいじめのプロセス

 次に従来の生活空間で対面して行われるいじめと、インターネットが作り出す仮想空間(ディスプレイ上の)での非対面のいじめ(ネットいじめ)のプロセスの違いを説明する。

  図1、および図2で見るとおり、いじめ心を構成する心理的要素は、基本的に、対面のいじめも非対面のいじめも同じである。違いが出るのは、いじめ心の刺激、増幅の段階である。対面のいじめではいじめの対象者の現出、認知は具体的、実態的であるのに対して、ネットいじめの場合のいじめ対象者の現出と認知は、仮想空間上で記号的、抽象的に行われる。(例えばアバターの作りや振舞いに対する嫌悪や憎しみの感情刺激などから、チャット・ネームあるいはハンドル・ネームへの攻撃意欲、嫌がらせ意欲の高まりという現れ方をすることもある。いずれにせよネット上に現れたコード・ネームの相手が実際のクラスメートであると分かった時は、対面のいじめにも発展する。学校裏サイトやプロフに、たまたま、あるいは面白半分に書かれた悪口やデマ、さらには写真の貼り付けが実名の場合(仮名あるいは暗示でも)、いじめ対象者(被害者)のあぶり出し現出となる。

 いじめる相手がはっきりすると、いじめの実行意欲が高まり、即いじめの実行となる。ケータイが手元にあれば、いじめのチャンスを待つ必要もない。この段階は省略される。ということはいじめ実行の中止は消える。また、対面のいじめでは、いじめの実行中、相手の表情を見て同情したりして中止することもあるが、非対面ではそれも無くなり刺激され高まったいじめ心を完全に満足させるまで、いじめの実行がなされてしまう。

 最後に、快楽のウェブ利用がネット中毒やネット非行・犯罪を増やす温床になるばかりか誰にでもあるいじめ心を刺激し、ネット非行を増やす原因になるが、このことは日本では全く認識されていないことを付言しておく。