ケータイ以上に強い教員を流行に流す力

 新年おめでとうございます。例年のように正月に入っても年賀状が残り、昨日ようやく書き終わった。 
  さて、我が国の子ども達のネット利用問題は、スマホで急変し続けているが、良い方向に行っているとは依然として言えない。やれやれと思っている時に、高知新聞社から「スマートフォンの校内利用を許可する高校が増えているがどう思うかという取材が入った。年が明けたらさっそく「携帯校内使用4割が許可」という大見出しの記事が出、現場教員の困惑が伝えられた。 
  思った通り、スマホはケータイ以上に厄介な問題、「教育の原則を考えられなくするツケ」を学校(小、中、高)に回しつつある。 
  文科省の責任は大きい。むしろ総務省に責任取らせるべきとは言わなかったが、小、中、高までの学校管理責任者たちは、次第に国の指示待ちでいられず、保護者、地域で話し合ってふらふらしない基本ポリシー(合意)を打ち出さなくてはいけなくなろう。そのためには「ケータイ時代の失敗の経験」を生かすことだ。つまり「生徒のケータイ、スマホの学校での利用は圧倒的にマイナスが大きい。最終責任は消費者である家庭と業者にあると社会にアピールすべきだろう。そこから行動を起こさないとケータイ時代の失敗(ただ業者が作る戦略に飲み込まれる)だけ、つまり、流行に流されるだけになる。 
  スマホやラインの流行に流され続けると、どうなるのか? ケータイ時代のことを思い出して、予想をするべきことは多いはずだ。 
例えば、先の高知新聞(1月4日号)には高知市の公立高校で「定期テスト中の休憩時間にもゲームをする光景がある」「携帯電話着信ランプが光ればそちらに視線が行く」と教員の声を報じているが、スマホはケータイ以上の授業妨害になるだろう。 
  ケータイの時も、「教育用に使える道具だ」と言いたて、使用の可能性を広げたい」と叫んでいた教員もいたが、未だにケータイの教育的可能性を確信させるプログラムを教師はおろか大学のIT教育者は出していない。日本では、ケータイ以上に大きくなるスマホのリスクをこれから順々に記したい。