むしろパソコンよりも、人間関係につよい先生を

 佐世保の小学校の少女殺人事件で、小学校から中学校でのITマナーや道徳倫理教育の紹介記事が各紙で始まりました。先生の中にはパソコンができない先生もいるので、まずパソコンをできる先生を増やしていこうという論調もでてきました。こういったことは予想されていたことで、悪いことではないれども、何だか先生達を追い詰める方向にいくのではないのか、という心配が出てきます。

 子供たちのインターネット利用はパソコンからであれ、携帯であれ、学校だけではなく家庭や塾などで連続的に行われています。したがって、学校だけでマナー教育をするということでは間に合わないし、家庭の親も地域の人たちも子供たちを指導できるような能力をつけていく必要があるのではないでしょうか。特に学校より家庭の方が携帯インターネット利用が多いわけですから、親が最終責任者ということもあって家庭の役割は大きいと思います。

 インターネットというのは言うまでもなくパーソナルメディアですから、携帯を使う場合は特に親が責任を負わなくてはならないでしょう。しかも子供の指導は、自分の子供だけで本当の効果は期待できないので、親同士の連携、協力が必要になるということははっきりしています。例えばネットを使ったいじめの問題も、親同士が情報交換し、先生よりも先に兆候を見つける必要があるし、また、そうしたこともやればできると思います。親や大人が子供に与えるべき本当の能力というのは「子供がよりよい人間関係をつくる能力」でしょう。子供の人間関係形成力を高めるように親も大人も先生も努力していかなくてはいけないはずです。

 そのためにはむしろインターネットを早くから利用させたりするよりも、人と人との対面したコミュニケーションで、よりよい人間関係をつくる機会を増やすほうが大切ではないでしょうか。ネット上でのコミュニケーション能力、ルール作りを教えるのは、順序から言えばその後で、というのがオーソドックスな教育だと思います。そのためには、学校の先生もただ「パソコン操作に強い先生を」というのではなく、人間付き合いに長けた、良い人間関係を作る能力のある先生のほうが、小中学校では必要と思いますが、いかがでしょう。