最近の子供のインターネット利用問題(その1)
 –フィルタリングの中身が問題–

 「最近村長の主張が出てこない。どうなっているのか」という友人らからの問い合わせに促されて再び書き出すことにした。

 2007年は本当に忙しかった。公私ともに事が多過ぎた。08年はさらに加速した。だが、何はともあれ小生この3月には退官である。体力勝負(?)のテーマに関わって疲れが溜まっているので定年は正直ありがたい。しかし子どものネット問題は放り出せない。なにしろ退官のこの時期に、いきなり大きな山場が出来てしまった。例のフィルタリング機能原則適用というお触れである。私はiモード発売後に、「インターネットは成人向けメディアだから未成年者に売る場合はフィルタリング・プリセットが原則のはず」と主張してきたので「やっとか」という思いで受け止めた。

 携帯電話業界は、最初「携帯電話にフィルタリングなど入れられない」と言っていたが、「それはおかし」という声に負けて「フィルタリング・サービスはじめます」といい始めた。ようするに巨額の投資をしたくなかっただけなのだ。しかもフィルタリングを本気では薦めなかつた。なにしろ販売効率を含めて利益圧迫要因になる。つまりメリットが無いのだ。あれやこれやでモタモタしているうちに、とうとう総務省がきついこと(フィルタリング原則適用)を言い出したわけだ。

 背景には、私どもの委員会「警察庁・少年インターネット利用問題研究会」の答申(2006年)が働いていたと思う。私は、同研究会の座長として「携帯電話業界の社会的責任」を公に問うたのである。きっかけにはなったはずだ。つまり私の理解では、まず警察庁が危機感を持って動き、文科省がそれに動かされ最後は総務省がしぶしぶ動いた、という構図なのだ。ともあれ総務省は一律制限フィルタリング・サービスの原則適用を言い出した。つまりコミュニティ・サイト規制により学校裏サイトやプロフあるいはモバゲーなどのサイトも使えなくなるレベルの制限をすると言い出した。少なくともコンテンツ業界はそう受け取ったようで、モバゲーなどコンテンツ業者が猛反発している。だから総務省は再調整せざるを得ないような状態らオい。というよりフィルタリングのレベルについてもっとはっきり線引きせざるを得ない状態になった。

 そうしたなかで、言いだしっぺの私に各方面から問い合わせが来ている。そこで、私の意見だが、2000年から機会があるたびに叫んでいるように、未成年者(特に低年齢者)に携帯インターネットを利用させるときは電話とメール(制限されたメール利用)機能のみでウエブコンテンツ利用、遊びサイト利用はできないものを売り出すべきだ。そうしたうえで、次に保護者が子どもと話し合い、わが子の能力(判断力、自制力、責任力)の発達を確認したうえで親の責任で制限を徐々に外し、遊びサイト利用の枠、範囲を広げればよい。米国ではこのように保護者が子どものインターネット利用(パソコンからだが)を指導・管理することをペアレンタル・コントロールと呼んでいる。ちなみに、このペアレンタル・コントロールが一般化するためには、保護者の社会教育を充実することが必須の条件になることは言うまでもない。

 この私の意見からすれば、「わが社の遊びサイトは安全だからフィルタリングの対象からはずせ」というモバゲーなどコンテンツ業者の主張はおかしい。それを言う前に、まず彼らは「自分たちの子ども向けネット遊び商売は、このように万全の手を打っているから安全だ。現に実績もあるから信用してくれ」と言うべきだろう。そのような説明責任を果たすことなく「私が安全と言っているのだからいいじゃないか」というだけでは、まともな企業の主張とはいえないはずだ。このことはコンテンツ業者ばかりでなくドコモやAUなど通信会社にも同様に言えることだ。私の知る限りでは、毎日、24時間、遊びサイトに入ってくる膨大な数の子どもらを本当に安全に遊ばせるにはそうとうな投資が必要になる。良心的な安全対策は、ネット事業者の利益圧迫要因になるはずだ。ネットの見守り要員をすこしばかり増やしても信用はできない。「これだけの人数の、これだけ高い能力を持つ安全要員を配置し、このような方法でやっているからわが社のサービスは安心して利用していただけます」という説明が必要だ。つまり、キャリアも含めたサービス業者は、子どもに安全、保護者に安心なサイトであることを説明し実証する責任を負っているはずだ。消費者である保護者は子どもと話し合いながらそのような業者を選んでフィルタリングのレベル設定ができる仕組みを作るべきだろう。

群馬大学社会情報学部教授 下田博次