ラインの適正利用は無理。 
 親のライン疲れ問題の前に中高生のライン疲れ
(ネット依存)やトラブル解決を話し合うべし

 過日、東北の名門紙「秋田さきがけ」という新聞社からラインの利用について取材を受け対応した。記事は8月30日付け「暮らし欄」に掲載された。大見出しは「依存に注意 活用を」とあった。「子育ての味方。返信で疲れも」だった。記事の前半はスマホの無料通話アプリラインが秋田地方の主婦層に人気があり、ラインを使ったママ友作りや育児の情報交流に役立っているというレポート記事。
 私のコメントは最後の7行で「互いを携帯電話(スマホ)の前に縛り付けるような使い方はしないよう、自制心を持って欲しい。メッセージ交換の仕方を母親同士で話し合うのも一法」とあった。
 私が間違ったことを言っているようには書かれてはいないが、話した本人としては二つの悔いが残った。一番目の悔いは、はっきり「ラインは適正な使い方など難しい。ライン仲間を作れば簡単には抜けられないと」告げ、ライン疲れは「利用者同士が互いに縛りあうコミュニケーション関係を作って稼ごうというラインのたくらみであり、ラインの手のひらに乗っている限りはライン疲れは必然化するからラインの利用を止めた方がよい」とはっきり告げるべきだった。私が一生懸命説明したのは最近良く聞く「ライン疲れ」という言葉の意味だった。

 私が記者に分かって欲しかったのは「ラインのユーザーにグループ化を進めたがっているラインの経営者は、お客に相互に縛りあう閉鎖的でタイトなコミュニケーション」をさせれば、利益が上がることを知っているからだ。ということだった。ラインが勧めるインターネット(とりわけチャットによるタイトなコミュニケーション)は、インターネットユーザー同士が互いに縛りあい疲れる関係作りであり、インターネット本来の「自由で開放的ネット利用」ができなくなる悪い利用方法である。ライン疲れはこの商法が原因だ。インターネット本来の設計思想からすれば相互に縛りあうようなタイトな人間関係作り(タイト・コミュニケーション)では無く、互いに解放しあい、学びあうためのコミュニケーション手段としてネット利用すべきなのだ。
 この相互に解放的で自由な人間関係つくりのネット利用は都市型社会の人間関係が想定されている。反対に、ラインの目指すタイトでエモーショナル(理性ある会話より本音、感情的)なコミュニケーションサービスは村社会型人間関係作りになる。だからいつもネット仲間の会話に付き合い、相槌を打っていないと仲間はずれにされるから疲れるのだ。
 このタイトな縛りあう会話の仲間から離れるのは「村八分」になることを意味する。だからラインのママ友グループは、当然疲れるだろうし、その付き合いから離れると村型のいじめが発生してもおかしくない。
 現にラインの無料のエサに飛びついた中高生の間で、電子掲示板より悪質なラインでのイジメが多発している。(私達への親、教師からの相談から判断)
 ライン利用のママ友たちが、しなければいけないことは、親同士のライン疲れをなくすための話し合いではなく、子ども達のライン疲れとその背後にあるスマホ時代のネットいじめ(ラインいじめ)解決のための話し合いであり、中高生のライン疲れ解決の知恵が出れば、親のライン疲れも解決の道がおのずと出てくるだろう。しかしその光が見えてくる前にライン疲れ(いじめへの恐れ)問題とラインによるネット依存が広がると思う。つまり、ラインによるネット中毒化が始まっている。テレビも、ネット業者の手のひらで踊っているだけではないのか。

 最近NHKも大阪、京都でラインを気にしていて私にも取材申し込みがあり、気にして動いているようにも思える。近著「液晶画面に吸い込まれる子ども達」(女子パウロ会発行)には、ラインが作り出すであろうネット中毒化について記述し、日本が青少年のネット中毒化対策でいかに無策かをはっきり記した。ぜひご覧ください。