女子中学生、手錠死事件の注目点

 2001年9月19日に、東京で例の教員による女子中学生手錠事件をめぐり、援助交際の是非について教育学、社会学関係者やジャーナリスト達と意見交換してきた。

 私は中学生はおろか高校生、大学生の援助交際には反対であり、そもそも援交という欺瞞的言葉が流行する社会など腐っていると思っている。この考えには今も変わりないが、「援交」する女子校生にも個々の事情なり、まっとうな理由さえあることを改めて知った。

 例えば、警察で補導されたり、学校の指導の網にかかった少女達の記録を見ていくと、父母や家族との関係、(とくに父と娘の関係で虐待に近い状況を見る)さらにはいじめ、恋愛を含む友人関係での非常にシビアなプレッシャーから援交や薬物に行くというケースが多い。しかも表面的には何事も無く、学校や家庭の諸事をやり通し、ケイタイを巧みに使って、休日や空き時間に身体を売る。といっても、いわゆるA,B,C,Dなど彼女らなりに売り方のレベルを決めて友達と相談しながら「ウリ」をしている。(友人と一緒に、という点に関心がある)勿論金が目当てではあるが、なかにはその行為が、彼女らの精神安定になっているケースさえあり驚く。

 心理学者の河合さんは「売春は魂に悪い」といっているが、援交よりも「家や父母との関係のほうが魂に悪い」と言わざるをえない事実も確かにある。つまり自己防衛的援交というものもあることが分かった。

 1990年代に入って、教育界でも「性の自己決定」と言う言葉が浮上している。そしてこの理論(?)を使えば成人の売春も正当化される。実際にセックスワーカーと言う職業観さえでてきた。さらに援交について「それは彼女達の自己決定の問題だ」「彼女達はそれなりにリスクを取って自分で行動している」と言う主張になる。「自分の身体だから勝手でしょう」という少女達の言い分を支えているわけだ。

 しかし、性の自己決定理論を、未成年の少女達に、そのまま当てはめていいものか。変体的教師による女子中学生の手錠事件は、まさにリスクが取れない子供に安易な自己決定理論を当てはめてはいけないことを教えるものではないのか。売春より魂に悪い家庭や学校など社会環境の改善や「儲かれば出会い系メールなどがOK」と考え、大人として、あるいは大企業としての社会的責任を放棄している産業界のあり方に目を向けなくてはいけないと思う。