石川県の条例化をどう受け止めるか自己防衛的決断

 周知のように、石川県議会は6月29日に小中学生に防災、防犯以外の目的で携帯電話を持たせないようにする保護者の努力義務を盛り込んだ改正「県いしかわ子ども総合条例」を可決した。

 この石川県子ども総合条例の可決について、私は新聞、雑誌、テレビなどから意見を求められ取材に応じコメントも出している。しかし一部のメディア例えばネットマガジンとか雑誌などでは、必ずしも私の真意が伝わる報道がなされているとは言いがたい。そこで私の考えを改めて説明しておきたい。

 まず石川県の「県いしかわ子ども総合条例」の可決については、私は地方自治体の意思決定として充分に理解できる。換言すれば「今や、そうでもしなければ子どもの健全育成ができない」という現状認識、危機意識からの自己防衛的決断だったと推察する。
 私の現状理解、分析からしても、国や企業はネット遊びの危険から子どもを守る力はない。国のケータイ問題解決のための努力は不十分であり、特に業界(携帯電話業界やコンテンツ業界団体)の対応は、依然利益優先のいい加減な内容であると思う。問題なのは総務省ばかりか文部科学省も、その業界のネットビジネス擁護の立場からした問題対応策に引きずられているように見えることだ。

 はっきり言えば「いくら儲かるからといえ、こんなネット遊び商売を子どもにしかけてもらっては困る。止めて欲しい」と業者、業界団体に明快な問題指摘ができない限り、日本の子どもらのケータイ利用問題の解決は期しがたいだろう。国が業者と声を合わせて「ルールやモラルを守って安全にネット遊びしましょう」などと子どもらに呼びかけているうちは混迷が続く。そう私は判断している。

 とりわけ国や業界は、子どものネット遊びの見守り指導義務を負う保護者や学校関係者への情報開示を依然怠っている。ちなみに「保護者へのモラル教育の必要性」を叫ぶ前に「消費者としての保護者への情報開示」が重要だ、ということがわかっていない。保護者が愚かだからいけない。保護者ノも情報モラル教育をすべきだ、などと業界が言う前に、リスキーな要因を様々に含み持つネット遊びビジネスの仕組みなどを消費者である保護者にわかりやすく説明すべきだ。そもそもフィルタリング無しでケータイを子どもに売りつけてきたのに、お客にお説教など言える筋ではない。しかもやっと原則適用になったフィルタリングの、そのレベルが「ゆるい」。そういうごまかしがまかり通る限りは、子どものケータイ利用事件やトラブルは絶えないだろう。

 例えば石川県子ども総合条例可決直前の6月25日に、読売新聞が「中3,13歳買春供述」という記事を掲載している。男子中学生が援交掲示板を使い。女子中学生や小学生をお年玉のおこずかいで買春する。つまり子ども同士の売買春がはじまってしまった。全国どこでも、こんなことが起き得る構造、情報メディア環境が進化している。特にケータイが子育て教育上のリスクをもたらす構造の理解、学習が社会的にも遅れている。こんな状況だから石川県の条例化の動きも理解できるのだ。

石川県への注文と期待

 条例に反対する人からは「ケータイは未だ進化するから使わせないわけにはいかない」とか「こんな高性能の機器を使わせないのはもったいない」「こんな条例作っても意味が無い」などさまざまな声が上がったようだ。とりわけ県外では「携帯電話の危険性をもっと学校教育で教えればよい」と主張する向きが増えているようだが、学校だけで問題解決はできないことは、いまや明らかだ。保護者に子どものネット利用の危険性理解が必要になっているし、なにより「もう悪いネット遊びはしない」と子どもに自覚させるような教育プログラムは未だ無い。そういう教材開発の実践、実績もないまま、学校だけを攻めるのは弱いものいじめ、というより無責任ではないのか。そんなことを言っている暇があるなら、「こういう方法が効果的です」と、問題の火を消す実践ほうがが先ではなかろうか。石川県は、目の前で子育て教育上の危機という火の燃え上がりを見て、まず水を掛けた。もう評論だけの段階ではない、という危機感があるのだろう。

 これまでにEネットキャラバンという国の啓発活動が全国的に展開され、携帯電話会社も啓発活動を行ってきた。インターネット時代の青少年保護に関する法律もできたことからEMAという第三者の審査機構が「健全だ」とういうお墨付きも出すようになり、それに則ってフィルタリングの原則適用が始まったから。だからもう騒がなくてもいいじゃないか、という人もいる。

 しかし、Eネットキャラバンや携帯電話会社の国家的啓発事業のやり方が良くないから問題は解決されない。それどころか、携帯電話会社の啓発は結果的に小中学生へのケータイ普及を促す販売促進になったのではないのか。第三者の審査機構による「健全化宣言」も怪しいことが、警察の動きから国民は察しはじめた。要するに国、企業の対策がいい加減で、ごまかしが続いている。文部科学省と業界が挙げて行ってきたモラル教育も効果がない。モラル教育に変わる安全教育をすればよいという人もいるが、具体的な実践も無い。そうこうしている間に、子どものネット利用問題の火の手が広がっている。そんな状態だから「持たせない」という自己防衛策が地方から出てきた。そう言うしかないのである。国や業界がだめだから、せめて自分の県の子どもだけでも守りたい、ということだろう。

 ただ石川県には注文を付けたい。まず携帯電話という言い方を止めたほうがいい。携帯インターネットとか「インターネットができる携帯電話」というべきだ。いわゆるiモードタイプの携帯電話を「子どもと声で連絡が取れる移動型電話機」と思って買い与えている保護者も多い。そういう人達は、なぜ携帯電話を小学生に持たせていけないか、いぶかるだろう。事実、私はそういう声を聞いている。「連絡用の電話機なのになぜだめなのか」とか、なかには「お前は子どもの安全のために電話を持たせたいという親心がわからないのか馬鹿者が!」というお葉書が研究室に届いたこともあるくらいだ。
 重ねて言うが、私は電話の機能を問題にしているのではない。未成年者のインターネット利用を問題にしているのである。石川県は今回の条例化を契機に、インターネット時代の子どもの躾、教育ができる県民の養成にまい進すべきだ。

 世界の大人社会の常識から言えば、子どものインターネット利用の管理や指導(ペアレンタル・コントロール)ができなければ使わせないほうがよい。逆に言えば、それさえできればゲーム機からでも携帯電話機からでも「保護者の責任」で使わせればよいのだ。その意味では、石川県の条例を批判する学者らは、「小中学生にも携帯電話からインターネットをさせる」という自治体を探し出して支援すればよい。

 私は、そもそもドコモさんが、フィルタリング無しで思春期の高校生に向けてインターネット機能を取り込んだ携帯電話機を売り出したことに異議を唱え、こんないい加減な売り方、買い与え方をするのなら、子どもにケータイ持たせないほうがよいと言い続けているだけだ。ことは石川県だけではない。他県でも、県民がきちんと子どものケータイ利用の指導ができなければ携帯インターネット機もオンライン・ゲーム機も使わせないほうがいいだろう。インターネットを子どもにさせたい、というのであれば、見守り指導がしやすいデスクトップのパソコンから使わせるほうが安全である。

 「どうしても携帯電話からインターネットを使わせたい、使わせないわけにはいかぬ」と思ったところは、子育て教育に責任を持つ保護者や教員のペアレンタル・コントロール能力を早急に高める手立てを講じなくてはいけないだろう。但し言っておくが、私のこれまでの経験から言えば、地域の保護者や教員の能力獲得支援の難しさもさることながら、保護者、教員のペアレンタル・コントロール活動を妨げる業界の仕組み、ビジネスモデルを改善させるのは容易ではない。しかし「子どもに携帯インターネットをさせたい」と思うのなら、そのハードルを乗り越えなくてはいけないだろう。そういう努力無しに、ただ石川県の試みを揶揄しているのであれば「悪い現状に流されているだけ」あるいは「無責任、問題の広がりに加担している」と言われてもいたしかたあるまい。