スマートフォン時代の悪だくみ→ラインの狙いについて

 メディアとは何か。コミュニケーションの媒介、手段というのが表向きの正解だが、金や権力を有している人物、あるいはその両方を手中にしようとしている者達にとっては、愚者を増やし、操る手段、道具であり、それだけに悪賢い者にとっては価値あるツールである。四半世紀前に、私が米国西海岸のカウンター・カルチャー全盛期、インターネットというメディアをTV以上に知性・理性を高めあうことのできるメディアにしようと若きメディア学者やコンピュータ・ネットワーク技術者、ジャーナリストらと夢を語り合った。しかし、インターネットは快楽のためのウェブ(プレジャリング・ウェブにもなりうるという見方も強かった。そのことがサンフランシスコで通信品位法の必要性をめぐる議論として発展した。
  
 日本の政治、文化レベルではインターネットというスーパーメディアが作るカルチャーについての真剣な関心も議論もない。そうした中でケータイ・インターネット文化や、それを引き継ぐスマートフォンのカルチャー(プレジャリング・ウェブ)が利潤追求目的で作られつつある。

 ケータイの出会いサービスやゲームサイトで稼いだ連中が手を組みラインという無料通信サービスを始め急速にユーザーを拡大させている。無料サイト、無料アプリのサービスには当然企み(アイテム課金など)がある。ラインの場合は、メディア論的に見て、興味深い無料サービスの企みだ。

 ラインの企てを一口に言えば、無料通信サービスに集まってきた膨大なユーザーを、閉鎖的で情動的な人間集団に育て上げることだ。プレジャリング・ウェブの特徴である。反対に開放的で理性的利用は(ラーニングウェブのカルチャーで開放的で理性的なネット文化、人間関係、つまりオープン・マインド・ユース)であるからラインはそれと反対のクローズド・マインドなユーザーグループをネット上に作りだすのが目的らしい。そして、そのようなユーザーたちに商品やサービスを売り込みたい企業から仲介料を出させようという狙いだ。私にはそう見える。

 メディア論的に言えば、インターネットのオープンマインド文化のユーザー群よりも、感情的でネットを情動的に使いたがるクローズド・マインド・ユースのユーザー群の方が企業として操作しやすいのだ。「無料」というエサで群がってきた情動的で閉鎖的利用を好む膨大なユーザー群をコントロールしやすいお客さんたちの集団の情報として企業に売りつけることで、利益を上げようというのだ。愚かな大衆操作のツールとしてのメディアの本質を、インターネット時代に実証しようとしているのがラインというネットサービスの企てとみた。問題は操作しやすいネット・ユーザーの定義の中に、高校生や若い主婦などスマホの中核ユーザーが入ってしまうことだ。ケータイの時の悪質ビジネスの知恵がラインというスマホ向けサービスに受け継がれようとしている。