コンピュータゲームがもたらす子育て上のリスク

 人類のメディアの技術の改良は紙をベースにした印刷物メディアから電子の働きを使ったコンピュータ・ベースド・メディアへと進化している。コンピュータ・ベースド・メディアの中でも親・教師が最も注意すべき技術はコンピュータ・ゲームであろう。米国ではオンラインゲームやゲーム専用機によるゲームも全て含めて「ビデオゲーム」と呼ぶことがある)が、私は利用機器がPCであれ、携帯電話・スマートフォン・ゲーム専用機・ディスクトップPCのいずれでも、本体がコンピュータで、そこから各種ゲーム情報(コンテンツ)を利用して遊べるメディアを「コンピュータゲーム」と呼んでいる。このコンピュータゲームというメディアの発達が子どもの心身の育ちに問題を引き起こしているのだ。しかも、このコンピュータゲームの商品化はこれからも進化の一途をたどる。(技術改良と利益欲求から)これは確実である。

 コンピュータゲームは、家庭で使うパーソナルコンピュータ(パソコン)普及以前と以後に大きく分かれる。

 パソコン以前のコンピュータゲーム機は、ゲームセンター(ゲーセン)などに設置されていた電子ゲーム機で、その昔はミニコンが使われていた。子ども達はゲームセンターというお店に行かなければ使うことが出来なかった。ゲーセンのゲーム機は単純な射撃型プログラムで、画面上に敵が現れるとひたすら撃つというタイプだった(それ以前はピンポンゲームが流行)古いヒット商品では宇宙からの進入者を撃ち落とすインベーダゲームがあった。このほか古典的ゲーム商品としてカードゲーム等もあった。

 子ども達はボックスに小銭を入れて一定時間コンピュータプログラムとの遊びに興じた。このゲーセン時代でも親の心配はあった。おこずかいの問題と店の雰囲気の問題だった。ゲーセンで悪い人間関係ができてタバコを吸ったり酒を飲むようになったとか、男女関係ができた等だ。ゲーセンの多くが繁華街や歓楽街にあったことも教員や保護者の心配を生んだ。

 だから手軽に買えて子どもが家で遊べるゲーム機やパソコン(ファミコン)で使えるゲームソフトの販売はむしろ安心感を与えた。しかし小型ゲーム機やPCゲームソフトの方がもっと大きい問題を生みだした。そして問題は年々ふくらんでいる。

 私には5人の子どもがいるが、長男はゲーセン時代の子で、この長男のゲーム遊び問題で多少悩んだことはあるが、今の保護者の悩みはもっと深いだろう。長男は一時ゲーセンの出入りが心配された。しかし父親同伴で特定のゲーセンに行き、色々注意をしたりゲーセンの他に面白い遊び(魚釣りやスキーなど)を親子・一家で楽しんだことでゲーセン行きは止まった。次の子どもの時代にはパソコンゲームが始まったが、BASICでプログラムする楽しみに眼を向けさせた。(長男の他はゲーセン通いの問題は無い)成人に達した子ども達は今でも兄弟で時々オンラインゲームをしているが、幸い以下に述べるような思春期に多いゲーム中毒リスクとは無関係で済んだ。

 結局私の子ども達がゲーム中毒にならなかった理由は

  1. ゲームソフトの内容が低レベルだった
  2. 親(母親)がルールを作り、約束が守れなければ厳しく対処した
  3. コンピュータゲームの他に野外スポーツの楽しみや家の仕事(家庭菜園や鶏の飼育など)があった

 今から思えば、私達夫婦の時代は子どものメディア利用で特に深刻な悩みはなかった。しかし今は違う。やっかいな時代になってきた。私達の子育て時期はテレビの利用時間制限くらいで、今からすればロマンチックな時代だった。私達の娘は、子どものときに母親に読んでもらった絵本を今では自分の子どもに読み聞かせている。そんな幸せなメディアの共有(リレー)ができた。

 今の子育てメディアの最大の難題は、コンピュータゲームの流行と普及だろう。小学校高学年から中・高等学校にかけての思春期の男の子(最近は女子も)は、たいていがコンピュータゲームにはまる時代だ。コンピュータゲームの魅力は年々高まっており、その商品化技術の進歩は止まることはない。なにしろ子どもを中毒にさせるから儲かるのだ。この種のメディアはコンピュータグラフィック(CG)の表現技術や音楽、シナリオなど演出の高度化が急速に進んでいる。今後はバーチャルリアリティの方向に進化が進み、画面への没入感は次第に高まってゆくだろう。今から20年前の私どもの子育ての頃のコンピュータゲームなどもはや幼稚な商品になってしまった。

 最近のコンピュータゲームの魅力を小説や映画と比べると解りやすい。子ども達がコンピュータゲームを好む理由の第一はなんといっても「自分が物語の主人公になれる」というヒーロー(ヒロイン)願望の実現にある。それ故プレーヤーとしての子ども(大人でも)が物語の筋を作っていく。映画や小説は予め話の筋が作られており、したがって結末も見える。物語への当事者あるいは参加者意識は低くなるが、コンピュータゲームはプレーヤーが話の筋を作ることができる。(だから話の筋、結末は映画や小説のようには見えない)

 子ども達は、ストーリーを良い結果(ハッピーエンド)にしようとするならばヒーローとしてのゲーム・プレーヤーの立場で頑張らなければいけなくなる。(一人で頑張る場面もあれば仲間と力を合わせてする場合もある)気を入れて集中するだけでなく様々なテクニックを学んで(例えば戦闘ゲームなら武器の入手と使い方など)スキルも上げなくてはいけない。時にはスキルを上げるための解説本やゲームの中で使える武器など道具やヒーロー、ヒロインにふさわしいファッション・アイテムなどにも投資する。そうして敵(怪物)を倒して実績を上げていくとご褒美が出たり、ランクが上がり、満足感や達成感を味わう事が出来る仕掛け(シナリオ)になっている。だから「あと5分」「あと一時間」とパソコンの前から離れなくなる。その結果、宿題はおろか夕食の食卓にもつかなくなる。「ご飯だからゲームを止めなさい」と言うと「あと少しで敵を倒してランクを上げられるから嫌だ」と言ったり、「友達と一緒にオンラインでモンスターと戦っている最中だからダメ」などと口走ることになる。ゲーム仲間を戦いの途中で裏切ると、現実の友達関係にもヒビが入るのだ。

 「ゲームを始めたら止められない」という、いわゆるゲーム中毒者(ゲームホリック)はこうして生まれ、増えていく。

―ゲーム中毒者の病理―

 コンピュータゲームというメディアから離れることができなくなる。(というより振り回され、まともな生活ができなくなる)ゲーム中毒という現象は、一種の病的状態と見なされる。パソコンを立ち上げた子ども達は、コンピュータグラフィックスによって作られたファンタジックな冒険の土地に魅惑的なサウンドトラックの音色とともに誘い込まれていく。彼はそこでモンスターの攻撃に脅かされている村人や娘さん達から怪物退治を頼まれて戦士となる。正義の味方(ヒーロー)になるチャンスをつかんだ少年は武器を調達し、仲間を募って邪悪な敵と戦う。活動開始だ。時には仲間に助けられながら巧みな剣さばきで敵を倒していく。倒した敵が強ければ強いほどランクアップし、自尊心や達成感も高まっていく。

 ヒーローへの階段を駆け上がろうというその時に「もう遅いから寝なさい」と親が言っても止めることはないだろう。ここでやめたら村人は全員悲劇に巻き込まれる。止めるわけにはいかない。仲間を裏切れない。だからあと一時間…という具合で夜明けまで、宿題はおろか学校にも行かないかもしれない。こんな状態になった子どもたちが日本ばかりが欧米でも、世界中で増えている。

― デジタル・ドラッグ ―

 コンピュータゲームのし過ぎというゲーム中毒の病理についてはこの10年世界中から報告があがるようになった。一番多いのが子どもの日常生活での異変で、主として保護者からの心配、相談実例としてあがってくる。コンピュータゲームに熱中して、まともに食卓にもつかない。自室に引きこもり状態になった。親や家族と話をしなくなった。いらいらしたり怒りっぽくなった。もう少し深刻になると、家の手伝いや宿題もしなくなった。試験の前日なのに勉強もしない。更には昼夜逆転の生活になった等々私もその種の相談を受けたこともある。「高校入試が近いのにゲームばかりしている。どうしよう」というものだった。ようするにゲームのことしか頭になく、日常生活に狂いが出ているという心配で主にメンタルな相談のように思えた。しかしなかにはゲームをするようになって下痢気味になったなどの訴えもあると聞いた。

 ゲーム過多の身体的・生理的影響については、ゲームへの熱中度と血圧・心拍数の変化などのレポートもある。中でも私の目を引いたのはデジタル・ドラッグという言葉だった。(2005年のニューサイエンティスト誌の「ゲーム中毒者の特長と薬物依存症の共通性」という記事等で注目された)ゲーム依存の生理的影響については未だ解っていないことも多いようだが、小児科医や脳科学の研究者達からの報告や警告はこれまでも多々あり、無視することはできないと思う。とりわけ薬物との共通性については「正常な日常生活ができなくなった」という保護者達からの訴えには切実なリアリティがある。

 この10年、ゲームコンテンツは「もっともっと刺激的に」進化してきており、「より強い刺激を求める」という薬物依存の特徴と類似している点は不気味である。ゲームとドラッグの関係は、子どもとメディアのリスク管理からすれば科学的解明を待つまでもなく、子どもへの深刻なリスクと受け止め、親は注意した方が良いだろう。

 ちなみに福島の原発事故に限らず、科学技術がもたらす人災現象の裏には、甘いリスク評価が存在するのだ。

 リスクと言えばゲームコンテンツの心理的影響と行動への影響力も重視されてきた。(たとえば2002年にドイツで起きた学校乱射事件でゲームのスナイパーを真似た生徒が学校で銃を乱射し自殺した事件など)保護者は我が子がどんなゲームソフト(情報)に夢中なのかメディアのリスク管理という観点からも知っておくべきだろう。とくにシミュレーションゲームは実際の行動を促しやすいのだから。犯罪的シミュレーション情報への接触は子育て上リスクが大きい。暴力的あるいはワイセツ的ゲームで我が子が犯罪に走れば、その子自身もさることながら保護者へのリスクは計り知れないものになる。